Colosseum | 80
コロッセオ
- 設計者 : ウェスパシアヌス帝・ティトゥス帝
- 別名 : コロッセウム(ラテン語: Colosseum, イタリア語: Colosseo コロッセオ)
- 竣工年 : 80年
- 所在地 : イタリア ローマ
西暦80年・フラウィウス朝時代のローマ帝政期に、ウェスパシアヌス帝(ラテン語: Vespasianus)とその長男のティトゥス帝(ラテン語: Titus)によって造られた円形闘技場。
正式名称は「フラウィウス朝の円形闘技場(ラテン語: Amphitheatrum Flavium)」と言う。
一説によると、付近にネロ帝(37~68年)の巨像(コロッスス)があったことに由来して、コロッセオと呼ばれるようになったとか。英語で競技場を意味する コロシアム(colosseum)の語源ともなった。
1980年に、周辺にあるフォロ・ロマーノやカラカラ浴場、コンスタンティヌス凱旋門など古代ローマ時代の建造物とあわせて「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(英語: Historic Centre of Rome, the Properties of the Holy See in that City Enjoying Extraterritorial Rights and San Paolo Fuori le Mura)」として世界遺産に登録されている。
コロッセオは身分によって観客席の階数が分けられていたそうで、見晴らしのいい席に貴族達が居たのかと思いきや、貴族階級は1階の観客席。2階には騎士、3階には一般市民、市民権を持たない奴隷などは最上階に席が設けられたそう。これは貴族たちがスムーズに退場できるようにするためだったとか。
ウェスパシアヌスがローマ帝国の皇帝に即位した頃のローマは、64年にローマ帝国の首都ローマで起こった大火災(ネロ帝時代)や、68年にネロが帝位を追われ自殺したのち70年までの間に起きたローマ内戦(ウェスパシアヌスが収め、新たな皇帝になった)の被害から完全に復興しておらず、首都の再建を進めている時期。そんな中、かなりの倹約家であるウェスパシアヌスがした唯一の贅沢がコロッセオ建設だった。
工事はウェスパシアヌス治世の70年に始まり、ティトゥス治世の80年に完成・落成した。建設には10年近くかかってしまったため、ウェスパシアヌスは完成に間に合わず、79年に亡くなってしまった。
- 長径: 187.5m, 短径: 156.5m の楕円形 / 面積3357㎡ / 周囲が527m, 高さ48.5m。
- 収容人数: 推定5万人から8万7千人
- 構造: ローマンコンクリート ※
- 4階建て・柱は各層で様式が違う(1階がドリス式、2階はイオニア式、3階はコリント式、4階はアーチなしコリント式)
- 天井部分は開放(日除け用の天幕を張る設備があった)
※ ローマン・コンクリートとは、ローマ帝国の時代に使用された建築材料で、火山灰を利用したコンクリートのこと。古代コンクリートは鉄筋を持たないため、中性化してもコンクリート自体の強度は数千年間保たれ続ける。ただし無筋コンクリートゆえに曲げや引張力に対しては脆いという欠点がある。幾多の地震の際も崩壊しなかったのは、全体が円筒形で力学的に安定していたためと言われている。
下の図は「コロッセオの柱の様式の違い」をまとめたもの。
ネット上で調べた写真や Google Street View で見られるコロッセオを観察しつつ「こんな感じではないか」とイラレで描いたもので、想像で補完している部分も多く正確性は保証できないが、なんとなく雰囲気は伝わるかと思う。